

「自分は心が折れやすい」「少しのことで落ち込んでしまう」「周りの人はもっと強いのに、自分だけ弱い気がする」。このように感じる方は少なくありません。仕事、人間関係、家庭、学校、将来への不安など、日々の生活にはこころに負担をかける出来事がたくさんあります。
しかし、ここで大切なのは、折れにくい心は、生まれつきの強さだけで決まるわけではないということです。もちろん、性格や環境、これまでの経験によって、ストレスへの反応には個人差があります。それでも、心理学の研究では、こころの回復力は日常生活の中で少しずつ育てていけるものとして考えられています。
その考え方の一つに、ペンシルバニア大学の心理学者マーティン・セリグマンが提唱したポジティブ心理学があります。ポジティブ心理学は、「ただ前向きに考えよう」という単純な考え方ではありません。人がよりよく生きるために、どのような要素がこころの健康や幸福感に関係しているのかを研究する心理学の領域です。
💡この記事のポイント
心が折れにくい人は、つらいことが起きても平気な人ではありません。ストレスを受けたあとに、少しずつ立て直すための要素を日常の中に持っている人です。PERMA理論は、その回復力を考えるうえで役立つ視点です。
PERMA理論とは、人の幸福感やこころの充実に関わる五つの要素をまとめた考え方です。PERMAは、それぞれの英単語の頭文字をとったものです。
この五つは、特別な人だけが持っているものではありません。日常生活の中に少しずつ含まれているものです。たとえば、温かい飲み物を飲んでほっとする、好きな作業に集中する、誰かと安心して話す、自分の行動に意味を感じる、小さな用事を終えて達成感を得る。こうした一つひとつが、こころを支える材料になります。
「心が強い人」と聞くと、何があっても落ち込まない人、常に前向きな人、弱音を吐かない人を想像するかもしれません。しかし実際には、折れにくい人も傷つきます。不安にもなります。落ち込むこともあります。違いがあるとすれば、落ち込んだあとに回復するための支えを、生活の中に持っているかどうかです。
PERMAの一つ目は、Positive Emotion、つまり肯定的感情です。肯定的感情とは、楽しい、うれしい、安心する、ほっとする、ありがたい、穏やかだと感じるような感情を指します。
ここで誤解されやすいのは、肯定的感情とは「つらいことを考えないようにする」「無理に笑う」「何でもポジティブに変換する」という意味ではないことです。苦しい時に「前向きにならなければ」と自分を追い込むと、かえって疲れてしまうことがあります。
大切なのは、つらさを否定することではなく、生活の中にある小さな安心や小さな快に気づくことです。
✅ 肯定的感情の例
こころが疲れている時は、大きな楽しみを感じにくくなります。そのため、「楽しいことをしよう」と言われても、何も思いつかないことがあります。そのような時は、楽しさよりも少し楽になること、少し落ち着くことを探すくらいで十分です。
肯定的感情は、ストレスを一気に消すものではありません。しかし、つらさで狭くなった視野を少し広げる働きがあります。「苦しいだけの一日」ではなく、「苦しい中にも、少し落ち着けた瞬間があった」と気づけることが、回復の土台になることがあります。
二つ目は、Engagement、つまり没頭です。没頭とは、何かに集中しているうちに、時間の流れを忘れるような状態です。趣味、仕事、家事、運動、読書、創作、ゲーム、手作業など、人によって対象はさまざまです。
こころが疲れている時、人は同じ悩みを何度も考え続けやすくなります。「あの時、こうしていればよかった」「また失敗するのではないか」「自分はだめなのではないか」と、頭の中で考えがぐるぐる回ります。この状態が続くと、脳が休まらず、気分もさらに落ち込みやすくなります。
そのような時、没頭できる時間は、悩みから少し距離を取る役割を持ちます。もちろん、没頭したからといって問題がすべて解決するわけではありません。それでも、悩みだけに占領されていた頭の中に、別の回路を作ることができます。
💡没頭のポイント
没頭は「立派な趣味」である必要はありません。短時間の片づけ、料理、散歩、読書、手帳を書くこと、動画を見ながら軽く体を動かすことなどでも構いません。大切なのは、悩みだけに意識が固定される時間を少し減らすことです。
没頭には、集中力が必要です。そのため、うつ状態や強い不安がある時には、以前のように集中できないこともあります。その場合は、「昔のように楽しめない」と落ち込むのではなく、短く、軽く、できる範囲で考えることが大切です。
たとえば、本を一冊読むのが難しければ、数ページだけ読む。運動が難しければ、数分だけ歩く。部屋全体を片づけるのが難しければ、机の上だけ整える。このような小さな没頭も、こころの回復には意味があります。
三つ目は、Relationships、つまり良質な関係です。人は一人で生きているように見えても、実際には多くの人間関係の影響を受けています。安心できる関係があると、つらい出来事があっても、こころは立て直しやすくなります。
良質な関係とは、友人が多いことや、常に誰かと一緒にいることではありません。大切なのは、数ではなく安心感です。
反対に、人間関係が多くても、常に気を遣いすぎる、責められる、比較される、否定されるという関係ばかりだと、こころの負担は大きくなります。SNS上で多くの人とつながっていても、孤独感が強くなることもあります。
こころが折れそうな時に必要なのは、正論をたくさん言ってくれる人とは限りません。時には、「それは大変だったね」と受け止めてもらえること、「今はつらいよね」と言ってもらえることが、回復のきっかけになることがあります。
もちろん、すべての悩みを周囲に話す必要はありません。話す相手を選ぶことも大切です。家族、友人、職場の人、医療者、カウンセラーなど、関係性によって話せる内容は異なります。良質な関係とは、何でも打ち明ける関係ではなく、必要な時に、必要な範囲で、安心してつながれる関係とも言えます。
四つ目は、Meaning、つまり意味・意義です。人は、自分の行動に意味を感じられる時、困難な状況でも踏みとどまりやすくなります。
意味というと、大きな使命や人生の目的を思い浮かべるかもしれません。しかし、ここでいう意味は、必ずしも壮大なものである必要はありません。
たとえば、家族のために働いている、誰かの役に立ちたい、生活を守りたい、患者さんや利用者さんの支えになりたい、自分の経験を今後に活かしたい、少しでも穏やかに暮らしたい。このような感覚も、意味の一つです。
✅ 意味・意義の例
つらい時、人は「何のために頑張っているのか分からない」と感じることがあります。特に、うつ状態や強いストレスが続くと、以前は意味を感じていたことにも価値を感じにくくなることがあります。
そのような時に大切なのは、「大きな意味を見つけなければ」と焦らないことです。意味は、最初からはっきり見えるものではなく、生活を少しずつ取り戻す中で、あとから感じられることもあります。
たとえば、「今日は何もできなかった」と思っていても、実際には受診した、薬を飲んだ、食事をした、休む時間を取った、連絡を一つ返した、という行動があるかもしれません。それらは一見小さなことでも、自分の生活を守るという意味を持っています。
五つ目は、Achievement、つまり達成です。達成と聞くと、試験に合格する、昇進する、大きな成果を出す、目標を達成する、といったイメージを持つかもしれません。しかし、こころの回復において重要なのは、必ずしも大きな成果だけではありません。
むしろ、疲れている時ほど、小さな達成感が大切になります。なぜなら、こころが弱っている時は、「自分は何もできない」「何をしても意味がない」と感じやすくなるからです。小さな達成は、その感覚を少しずつ修正するきっかけになります。
達成感は、「頑張った証拠」を自分に見せてくれるものです。こころが疲れている時は、できなかったことばかりが目につきます。しかし実際には、できていることもあります。その小さな事実を見落とさないことが大切です。
特に、うつ病や適応障害、不安症などで療養している時は、以前の自分と比べて落ち込むことがあります。「前はもっと働けた」「前はもっと動けた」と考えるほど、現在の自分を責めてしまいます。しかし回復期には、基準を一時的に下げることも必要です。以前の100点を目指すのではなく、今の状態での10点、20点を積み重ねることが回復につながります。
PERMA理論は、難しい理論として覚えるよりも、日常の中で「自分には今、どの要素が足りていないだろう」と振り返るために使うと分かりやすくなります。
Positive Emotion:肯定的感情
ほっとする時間、安心できる瞬間、少し気分が軽くなる行動があるか。
Engagement:没頭
悩みから少し離れて、何かに集中できる時間があるか。
Relationships:良質な関係
安心して話せる人、無理をしすぎず関われる人がいるか。
Meaning:意味・意義
自分の行動や生活に、少しでも意味を感じられる部分があるか。
Achievement:達成
小さくても「できた」と思える行動を積み重ねられているか。
この五つがすべて完璧にそろっている必要はありません。むしろ、ストレスが強い時には、どれか一つでも保てていれば十分なことがあります。たとえば、人間関係で傷ついた時には、没頭や達成が支えになることがあります。仕事で自信を失った時には、安心できる関係や意味の感覚が支えになることがあります。
PERMAは、こころの状態を責めるためのチェックリストではありません。「自分には何が足りないのか」と責めるのではなく、どこに支えを増やせそうかを考えるための地図です。
「心が折れにくい」と聞くと、何があっても傷つかない人を想像しがちです。しかし実際には、折れにくい人ほど、自分が疲れていることに気づくのが上手だったり、早めに休んだり、誰かに相談したりしています。
反対に、「自分は強くなければならない」と思い続けている人ほど、限界まで我慢してしまうことがあります。弱音を吐かない、人に頼らない、休まない、感情を押し殺す。そのような状態が続くと、ある日急に動けなくなることがあります。
本当の回復力とは、つらいことを感じない力ではありません。つらいことがあった時に、自分の状態に気づき、必要な支えにつながり、少しずつ立て直していく力です。
✅ 折れにくさのイメージ
こころの強さは、筋力のように考えると分かりやすいかもしれません。急に重いものを持とうとすれば、体を痛めることがあります。しかし、日々の生活の中で少しずつ整えていけば、負担に耐える力は変わっていきます。こころも同じように、いきなり強くなるものではなく、日常の小さな積み重ねによって支えられていきます。
ポジティブ心理学という言葉から、「前向きになれない人はだめなのではないか」と感じてしまう方もいるかもしれません。しかし、それは大きな誤解です。
うつ病、不安症、適応障害、強いストレス状態では、肯定的な感情を感じにくくなることがあります。趣味を楽しめない、人と会うのがつらい、達成感を感じられない、意味が分からなくなる。そのような状態は、本人の努力不足ではありません。こころと体が疲弊している時には、感じ方そのものが変化します。
そのため、PERMA理論を使う時にも、「五つ全部を増やさなければ」と考える必要はありません。むしろ、しんどい時には、次のように考える方が現実的です。
💡しんどい時の考え方
楽しめなくても、安心できる時間が少しあればよい。没頭できなくても、悩みから離れる数分があればよい。人と深く話せなくても、短い連絡だけでよい。大きな意味が見えなくても、今日を何とか過ごすことに意味がある。大きな達成がなくても、休むこと自体が必要な行動になることがあります。
こころが弱っている時に必要なのは、無理に明るくなることではありません。まずは、今の状態を責めすぎないことです。そのうえで、生活の中に小さな支えを少しずつ戻していくことが大切です。
PERMA理論は、こころの回復力を考えるうえで役立つ視点です。しかし、すべての不調が生活の工夫だけで改善するわけではありません。気分の落ち込み、不安、不眠、意欲低下、集中力低下、食欲の変化、涙もろさ、動悸、息苦しさ、仕事や学校に行けない状態などが続く場合には、医療機関への相談が必要になることがあります。
特に、次のような状態が続く場合は、一人で抱え込まないことが大切です。
心療内科や精神科では、症状や生活状況を確認しながら、休養、環境調整、薬物療法、心理療法、カウンセリング、生活リズムの見直しなどを組み合わせて考えていきます。PERMAのような心理学的な視点も、治療や回復の中で役立つことがあります。
ただし、つらさが強い時には、「自分で心を強くしなければ」と考えすぎる必要はありません。必要な時に相談することも、回復力の一部です。人に頼ることは、弱さではありません。むしろ、自分の状態を理解し、適切な支えにつながることは、こころを守るための大切な行動です。
折れにくい人は、特別に強い人とは限りません。傷つかない人でも、悩まない人でもありません。むしろ、日常の中に、こころを支える仕組みを持っている人です。
少し安心できる時間がある。何かに集中できる時間がある。安心して話せる人がいる。自分の行動に小さな意味を感じられる。小さな達成を積み重ねられる。こうした要素が、こころの土台になります。
💡まとめ
心の強さは、我慢の量で決まるものではありません。つらい時に回復するための支えを、生活の中にどれだけ持てているかが大切です。PERMA理論は、こころを支える五つの視点を示してくれます。
心が折れやすいと感じる時、「自分は弱い」と決めつける必要はありません。もしかすると、今の生活の中で、肯定的感情、没頭、良質な関係、意味、達成のどれかが不足しているだけかもしれません。
強さは、生まれつきの才能だけではありません。日常の中に、少しずつ設計していくことができます。こころが疲れている時ほど、大きく変えようとせず、小さな支えを一つずつ増やしていくことが大切です。
参考文献
Martin E. P. Seligman, Flourish: A Visionary New Understanding of Happiness and Well-being, Free Press, 2011.
Martin E. P. Seligman, Positive Psychology, Positive Prevention, and Positive Therapy, Handbook of Positive Psychology, Oxford University Press, 2002.
American Psychological Association, The Road to Resilience.